【Manga】Les Chroniques de Tarbiya / 修行(タルビーヤ)日誌 – En Français

日本語版はこちらをクリック Voici le premier épisode ! Je prépare plus tard le vrai album avec des épisodes historiques, mais dans ce blog, je vais mettre les chroniques qui permettent au public de se familiariser avec les contextes culturels et religieux en Afrique de l'Ouest. L'histoire est imaginée par l'auteure mais basée sur des expériences personnelles. Attention!... Lire la Suite →

【まんが】修行(タルビーヤ)日誌 / Les Chroniques de Tarbiya -日本語版

En français, cliquer ici 前回のアフリカヒーローのイラストに思いのほか良い反響をいただき、シェアもしていただいて、どうもありがとうございました!調子に乗って、私が比較的良く知っている人物像を役者にコマもののエピソードを描いてみることにしました。それ以外の記事も書きますが、絵ものを定期的に更新したいと思います。 まだほんまものの漫画を描く時間的余裕が無いので、四コマ的なショートエピソードで、西アフリカについて、イスラームについてなどの情報も盛り込んでみようと思っています。 前回のブログで紹介したシェーク・アーマド・バンバの創始した神秘主義教団をモデルにしています。聖地のトゥーバは私の調査の大事なフィールドでした。 イスラーム神秘主義(スーフィズム)??と聞いてもイメージがあまり浮かばない方も多いかと思いますが、新興宗教というよりは、神を称え現世のよりよい生き方を求めて修行をする信者の集団、日本で言う「寺」的なコミュニティーです。イスラーム圏にはこうしたスーフィズムのコミュニティーが沢山あり、修行は「タルビーヤ」と呼ばれます。この連載ものの題名の由来です。 ではどうぞ。 注 エピソードは筆者が想像したものなのですが、実際教団の弟子たちが某マラブー(教団の師匠)の足水を奪いあったという実話は聞きましたので、あながちでたらめでもないと思います・・・。 引き続きよろしくお願いします(*´∀`*) おまけ↓ 久々に絵沢山描けてたのしいな♪

セネガルの歴史を作ったイケメンたち 5選 / Quelques figures historiques au Sénégal en illustration

  J'ai dessiné quelques figures historiques importantes au Sénégal. Désolée, les explications sont en japonais... Je vais essayer de dessiner les épisodes en bilingue, à très bientôt! 先週はタンザニアの首都、ダルエスサラームでアフリカ・アジアに関する国際シンポジウムがあり、アジアやアフリカ各国から研究者が集まっていて、本当に色々な刺激をもらいました。私たちのオーガナイズしたパネルも大成功。この報告はまた後日改めて・・・。 実はここ最近久々にイラストを描きたいインスピレーションが沸きに沸いていていたたまれず、もう何年ぶりかにスケッチブックを常に持ち歩いています。飛行機の中や空き時間にせっせと鉛筆を走らせ・・・。 思いをめぐらせているのは、セネガルの19世紀から20世紀に大活躍したイスラームの聖人たちや同時代のヒーローたちを漫画キャラで。(今までのイラストとちょっと画風が違います)歴史的資料をあたればあたるほど、これだけの豪華な面子が同時代を生きていたのか…と、ゆくゆくはこれを題材に大河ドラマ的ストーリーを描きたいなと考えているのですが、ちょっと見てもらいたくなったので描きためていたキャラデザインをアップしてみます。 時代と年齢設定が人物によってちょっとずれますが、容姿や服装などはかなり文化人類学的見地?(私の観察や実際着てみてなど)に基づいているはずです。 注 妄想によりイケメン化していますが愛を込めて描いているのでセネガルの方、たとえば描かれている聖者の方の教団信者の方々からもおそらく批判は来ないはず?と思います。   もちろん女性のヒロインもいますが、今回は男性限定ということで。またここでは数多くいる人物たちのなかから筆者が特に注目したキャラをピックアップしていますので、人物そのものの知名度や歴史に登場する重要度はまちまちです。 ※ 名前の頭に「シェーク」とある人物が多いですが、これはイスラームの師をあらわす敬称です。 それでは、個別に人物紹介いきます! ラット・ジョール Lat DIOR  (1842-1886) セネガルの代表的な歴史的人物の一人。19~20世紀は植民地時代、フランスが「平定(pacification)」と称して西アフリカの各地にまさに侵略していった時代です。その障壁となったのは各地にすでに確立されていた伝統王朝でした。ラット・ジョールはウォロフ民族の王国であるカジョール王国を率いる最後の王で、死ぬまで戦いフランス殖民軍に対抗したヒーローとして知られています。詳しいヒストリーはまた後日。 気性は荒くて包容力は大きく、そして人間味にあふれた人物像を想定しています。 モマール・アンタ・サリー Momar Anta SALY ラット・ジョール王に比べはるかに知名度はありませんが、当時の名だたるイスラームの師の一人でラットジョールの相談係でした。 ラット・ジョールは、1961年ごろ、政治的な理由もあり当時同地域で力のあったイスラーム指導者のマーバ・ジャク・バ(Maba Diakhou Ba)のもとイスラーム教に改宗するのですが、モマール・アンタ・サリーはマーバの弟子であり同志でした。改悛当時マーバ・ジャク・バは55歳ぐらい、ラット・ジョールはまだ23歳、モマールは35歳ぐらい。ラット・ジョールにとってマーバが師ならモマールはおそらく頼りになるお兄さん的な存在だったのでは?ラット・ジョールの改宗にはモマールが関わっているのでは…と想像はふくらみます。 ラット・ジョールは彼の姪で王族の中でも由緒正しき血筋の娘をモマールの嫁として嫁がせたといいます。あまり歴史的記録のない人物だけに、かれらの友情の物語が描きたいなあ。もう少し歴史資料をあたってみようと思います。 そしてとても重要なこと、モマール・アンタ・サリーは後にセネガルで最も大きな教団の一つ、ムリッド教団の創始者となるシェーク・アーマド・バンバ(このページの下に描いた白装束の聖人)の父なのです!と言えば彼のセネガル史における重要度は無視できません。 シェーク・シディヤ・バーバ Cheikh Sidiyya Baba   (1862-1924)... Lire la Suite →

Créez un site Web ou un blog gratuitement sur WordPress.com.

Retour en haut ↑